インド人が死ぬまでに一度は行きたい憧れの町へ
ほとんど全てのインド人にとって、死ぬまでに一度は行ってみたい憧れの場所・・・それはヴァラナシ。
バンガロールから電車で2日間かけて、やってきました。バンガロールの友達から、「ヴァラナシは、いつか行ってみたいリストに入ってるから、私たちの分も楽しんできて、ぜひ話しを聞かせてね!」と言われました。
ヴァラナシは、とても古い街。その古き良き街並みの雰囲気をそのまま残した小さな路地には人がごったがえします。
突然現れた男性が、私に、ネズミを見せて、「写真撮って!」と満面の笑み。あはは!
ヴァラナシで思いで深いのは、メイン・ガットでのプージャ(儀式)を、ガンジス河に浮かぶ船の上から見たこと。
私はプージャそのものよりも、船に揺られている人々が醸し出す熱気や恍惚とした表情に気をとられていました。
情緒あふれる、聖なる儀式でした。プージャ中は、少し喉と肩が痛くなりました。
自分のエネルギーにブロックがあるところにプージャが効いていたようです。
しかし、プージャが終わるやいなや、「健康で長生きできますよう」と、第3の目に赤い印をつけてくださったスワミが、お金を払え、と言ってきました。
ヴァラナシは全く、どこに行っても、どれだけ観光客からお金を吸いとれるかばかりに集中しているような感じがします。
通りを歩いていても、次々と、いろんな人寄ってきます。
オートリキシャに乗らないか?どこへ行く?国はどこだ? しつこく、ずっと後をくっついて来るんです。 お寺に入っても、すぐに誰かが寄ってきて、ガイドを勝手に始め、お金を請求してきます。
私が4年間滞在していた南インドとは、大きな違いです。
南インドのことをブログに書いていると、みんな「インドのイメージが変わった」と言われることがよくありましたが、きっとみなさんのインドのイメージは、このヴァラナシのような感じだったのではないでしょうか。他の北インドの地域、デリーとか、アグラとかでも、そんな感じじゃないかな。
バラナシの火葬場にて
バーニング・ガット(火葬場)にも行きました。
担架に死体が運ばれてきます。
煙でむせながら、しばらくそこにいました。
地元のインド人、そして大勢の外国人もきています。
死体に対して、特別に感じるものかなと思いましたが、何も感じませんでした。
一体、ガンジス川に流されていく死体も見ました。
それを見ても、何も感じるものがありません。 普通、日本では、火葬場とか、お葬式は、とても悲しい雰囲気が漂いますが、ここは、全くそういうものがありませんでした。
みんな、淡々としていて、のんびりしているというか。
来ていたインド人の人達も観光客だったのかな・・・?それなら話しはわかりますが、特に泣いている人も、悲しそうな人もいませんでした。
見終わって帰ろうとすると、「入場料を払え!」と迫ってくるインド人がいました。ここで入場料はいらないことは分かっていたので無視していくと、怒鳴りながら追いかけてきます。気分を悪くしながら、その場を立ち去りました。
この火葬場に来て、私が気になった点は、あの死体はどこに行きつくのだろう、ということ。
宿に帰って、オーナーに聞いてみると、「ほとんどは全て焼き尽くされるから、流すことはしない。一部の子供、そしてヘビにかまれた人など、特別な人だけが焼かずにガンジス川に流される」とのお話し。
「じゃあ、その死体は最後はどこに行きつくの?川下の方にいたら、死体に遭遇ってことはないの?」
と聞くと、「それはない。たいてい沈んで、海の生き物のエサになるから」とのことでした。
この宿のおじさんに「ヴァラナシにいる悟った聖者を誰か知っていますか?」と聞くと、
「ここは、偽物が山ほどいるから、気をつけて。
それより、Do good をしていればいい。
神さまは、私たちに、この生をくださったのは、Do good(よいことをする)ため。
いいことをたくさんして、いいカルマを蓄えて死ねば、神さまから次は生まれ変わらないでいいと言ってもらえる」
とのお話。まさに、タイのスェーデン人Sさんが言っていたことと同じことを、またここでも聞きました。
おじさんの話は、ピュアなハートから出てくる真実の言葉と言う感じがして、涙がこぼれました。
「おじさん、とてもハートがピュアですね。感じます。ありがとう。
おじさんが、リシ(賢者)なのでは?」と少し冗談混じりに行ってみると、「いや~」と謙虚に否定されていました。
このヴァラナシの混沌さに嫌気がさし、おじさんと話して、このヴァラナシを去ることを決めました。
(↓ホテルのオーナーのおじさんと)
お釈迦様が最初に説法をされた町、サールナートへ
ヴァラナシを去り、北10キロくらいのところにある、サールナートへ来ました。
ヴァラナシの喧騒から離れることができて、ほっとしています。 ヴァラナシの、ごちゃごちゃした感じ、次々と新しい友達ができる刺激的な環境も楽しいことは楽しいですが、3日でもう十分。
ここサールナートは、お釈迦様が、悟りを開いたのち、初めて説法をされた場所です。
オートリキシャがまず連れて行ってくれたのは、日本人寺でした。 ゲートをくぐり、ある部屋の前にいくと、ボードに何か規則が書いてありました。
滞在者へのルール。
そして、最後にひとこと。
Do good, Be good
と書かれてありました。まさに3度目のメッセージでした。(1回目はタイで、2回目はヴァラナシで、3回目はここサールナートで)
3度同じメッセージに出会うと、これはきっと自分が何か知らなければいけないメッセージだと私は捉えるようにしています。
台湾で、東洋医学を学ぶうちに、能力が開花したというアメリカ人の紳士に、前世を鑑定された際、「ヴァラナシで悟った聖者に会い、その人の教えを伝えていくことになるだろう」と言われていたことを思い出してみます。
今回のヴァラナシでは聖者に出会えそうな予感は全くありませんでした。
その代わり、ヴァラナシの宿のオーナーに聞いた、
ここは偽物で騙す人がたくさんいるから気をつけなさい、それより、Do good, Be good を気をつけていればいいというメッセージをもらうことができました。
悟りを追い求めるよりも、よいことをすることを人生で心がけていけばいい、
とてもシンプルなことですが、真理のような感じがします。
(後年、インド・ネパールで、チャリティーを始め、これがより真理であることが身にしみて、わかって来ました。目の前の人とか、困っている人を助けたり、幸せのために、いいことをするという喜びというのは、なににも代え難い喜びということを知りました)
タイで、ルームメイトになったスェーデン人の女の子が熱を出していた時、瞑想合宿に行こうとしていた私が、瞑想に行くのをやめて帰って来て看病を始めた時、彼女が、Do good, Be good について話していたこと。→こちらの記事参照
看病をしていた時の自分は、瞑想をしていた時よりも、幸せで、自分の顔が光り輝いているように感じたこと。スェーデン人の女の子のために薬を買いに行ったら、ドラッグストアの女の子たちが、私のことを光り輝いた笑顔で素敵だと噂をして、友達になりたいと思ってくれていたというので、自分が感じていただけでなく第三者からも本当に輝いて見えたのでしょう。
その後、悟りを得た聖者を追い求めて修行していたインドの旅から、人々の幸せに貢献するためのチャリティーのためのインド・ネパールの旅に目的が変わっていったのは、とても自然な流れでした。
タイ人のお坊さんたちとのお寺での生活
この小さなのんびりした街、サールナートの、とあるお寺で、一人のインド人のお坊さん、そして複数のタイのお坊さんたちと一緒に生活しています。
今、とても落ち着いて、瞑想的な雰囲気の中、瞑想的な人々と一緒にいられることが、とても幸せに感じます。
タイのお坊さんたちに囲まれて生活していると、やっぱり、インドの前にタイに行って、いろいろお寺を周ったことも何かつながりがあったんだなと思います。 タイで撮ってきたお寺や仏像様の写真を見せると、さすが、みなさん、「あ、これはどこどこの、○○だ!」とすぐに答えられます。
タイでタイ人女性Aさんとお寺を周った時、お坊さんが階段を上ってくると、Aさんが、かなり距離を置いたところに私の腕を引っ張って連れて行き、「こっちに隠れて!」と言いました。
「なになに、どうしたの?」というと、「お坊さんの前に立ってはいけないんだよ」と言っていました。
タイではかなり、お坊さんは尊敬されている様子。 タイでは、話しかけてもいけなさそうな雰囲気だったので、かなり距離を感じていた存在だったのですが、ここに来て、ぐっと距離感が縮まりました。
(仲良くなったタイ人のお坊さんと、このタイ人女性の友人Aさんに、タイまで国際電話をしてみました。タイでは、かなり尊敬されるお坊さんから電話で話したAさんは、とても緊張しているようでしたが、とても喜んでいました。)
最初は、1人のインド人のお坊さん(マネージャー)とベンチに座り話していたら、次々とお坊さんがやってきて、日本語で話しかけてくれたり、手相をいきなり見てくれたり、 「もうお昼ご飯は食べた?明日からは、私たちと一緒にダイニングホールで食べましょうよ」とフレンドリーに誘ってくださったりしました。
サールナートで行こうかなと思っていたお寺のリストを見せると、 「今日の午後、一緒に行きましょう」と言ってくださり、お坊さんたちは、お昼休みで少しお昼ねをしてから、3時に会いましょうということに。 私は、疲れていなかったので、先に1人で近くのお寺に1時間ほど行きました。
さて、3時にお寺に戻り、2人のお坊さんと一緒に出かけました。 オートリキシャを手配し、全ての主要なお寺を、次々と回ることに。 お坊さんの解説つきで、手際良く周れるなんて、何とラッキーなことでしょう! 自分ひとりではこうはいきません。 ひとりでは、一つのお寺を周るのもやっとです。 大抵、私は一人で不器用に旅をしているので、たまにこんな幸運に恵まれると、とても嬉しいです。
ブッダが寝ていた場所、初めて説法をした場所、大きな仏像さまの場所などを周りました。 ほとんどがアショーカ王が建てた場所だということがわかりました。
この写真は、お釈迦様が住んでおられたといわれている場所です! すごく貴重な場所を目にすることができました。 どうぞみなさん、エネルギーを感じ取ってみてくださいね。
アショーカ王とは、インドのほぼ全土を征服した王ですが、 戦争の後、多くの犠牲者を出したことに心を痛め、反省し、仏教の慈しみの心を、インド全土と、近隣諸国にも広めた王です。 その王は、その後、福祉活動に精を出し、多くの仏教的建造物を立てました。 アショーカ王の存在は、その後の政治にも大きな影響を与えたそうです。
さて、お坊さんたちと一緒にお寺を周っていると、彼らの俗っぽいチャーミングな面が見られました。 「これ日本製のカメラなんだ~日本の友達が贈ってくれたんだ~でも、まだちょっと使い方がわからないんだよね~」と嬉しそうに、仏像様をパシャパシャ撮影。 やっぱり、お坊さんは、仏像様がお好きなんですね。 お坊さんも私も、仏像コレクターよろしく、写真を撮りまくっていました。
サールナートには韓国や日本やスリランカや中国や・・・といろんなお寺がありますが、特に圧巻だったのは、チベット寺の仏像様!とても美しくて荘厳でした!
夕方7時からは、このお二人によるチャンティングが始まりした。 後ろに一緒に座らせてもらって、瞑想。
パーリ語でのチャンティング。 とっても、まあるい響きの音で、優しいんです。
とても楽しい時間でした。
チャンティングが終わると、一人のお坊さんが、「手を出して」と言われました。 そして、ヒーリングをしてくださいました。 「肝臓が弱っているようだ」というようなことを仰いました。(英語は単語のみ) そして、日本で買ってきたらしい、黒い平たい石を貸してくださり、肝臓のあたりをなでるように言われました。 何の石なのかは不明。
「成田」「仏像」という単語だけをおっしゃっていて、そこから推測するしかありませんが・・・(^^) 肝臓が弱いのは自覚していたので、当たりです!
その夜は何度もトイレに行きました。 どうやら、お坊さんのヒーリング、効いているらしいです。
お坊さんのセクハラ事件
後日、お坊さんが、ヒーリングと称して、体に触れてくることがあり、それはとてもがっかりしました。
ちなみに、セクハラは、上の写真のお坊さんではありません。一緒に二人で写っている、このお坊さんは真面目で誠実でした。)
その町でお友達になった女性に聞くところによると、女性に触れると、それまでの修行が全てパーになってしまうとも言われるそうで・・・
女性旅行者にぜひ気をつけていただきたいのは、この点です。
サールナートのスリランカのお寺でのこと。 また同じところをフラフラしていると、一人のお坊さんに話しかけられました。 「ああ、あなた昨日も来ていましたね。ホールでチャンティングを私たちがしていたとき、瞑想しているのを見ましたよ。 よかったら、4時前に一度いらっしゃい。仏教の教えについて少しお話できますよ」とおっしゃいました。
この街のお坊さんは、とても気軽に近づいてくださるのですね。 でも、ちょっと下心もありそうな気配を感じましたので、女性旅行者は、要注意を!
特に、男性のお坊さんばかりのお寺に、女性一人で泊る場合、とても気をつけなければいけないと思いました。 特にタイのお坊さんは、3メートルは距離をあけることが基本だそうで。 距離を縮めようとしたり、二人きりになろうとしたりしようとしたら、さっと立ち去りましょう。
ヨガの先生でもそうです。ヨガのレッスンで、体に触れてポーズを修正する場合、 触り方や、触る位置が変だと感じたら、遠慮せず、すぐに立ち去るか、「触らないでください」と伝えましょう。
マッサージでも、ヒーリングでも、お医者さん相手でも、いろんな世界で、こうしたことが起こっていると思います。 インドではこういうことは多いですが、日本でも起こっていると思います。 どこまでが施術なのか、ヨガではどこまでがポーズの修正なのか、見極め難く、黙って被害を受けてしまうことがあると思います。
しかし、ヒーリングは、体に触れなくても行うことができます。 ヨガのポーズの修正も、そうです。
マッサージやお医者さんの場合、触られることは基本だとしても、 もし、触ることがある場合は、触る人は、相手に対して、許可をもらうか、相手を尊重した触り方でなければいけないと思います。
触られた人は、明らかに、尊重されていない触り方(嫌な感じ)ということははっきり感じられると思いますので、 不自然と感じたり、不快感を感じたら、はっきり「やめてください」と伝えるようにしましょうね。
この街でお会いした日本語がペラペラのインド人の方には、 「ここは、生臭坊主が本当に多いから、気をつけて。お坊さんには近づかない方がいいよ」と言われました。
生臭坊主なんて言葉、よく知ってるな。。。
チベットの方にもお会いしましたが、 「ここのお坊さんたちは、お金をたくさん持っていて、女遊びもよくやっているよ」とのこと。
「時々、僕もお坊さんになろうかと思うことがあるんですよ」と言うので、本気にしていたら 「だって、お坊さんになったら、お金も、女も何でも手に入るんだからね、イヒヒ」 と皮肉っていたのでした。。。
私の泊っていたお寺での会話、
私「ここは、○○(ある国)のお寺なのに、なぜ一人も○○人のお坊さんがいないんですか?」
お寺のマネージャー、インド人のお坊さん「○○(ある国)のお坊さんは、ここにはいつかないんですよ。 彼らは、AC(エアコン)の部屋がいい、贅沢な車に乗りたい、って言って ここじゃ嫌だっていうんです。
ブッダは、ACの部屋じゃなきゃいやだと言ってましたか?贅沢なベッドで寝てましたか? ブッダは、野外で、土の上で寝ていたんですよ」
「ACの部屋じゃなきゃ嫌だ」と、駄々をこねるブッダを一瞬、想像して、笑ってしまう。
私「そうですよね。なんで、そんなにまだ欲望があるのに、お坊さんになりたいと思ったんでしょう? 普通の人以上に、欲のかたまりなんじゃないですか?」
先日の記事で、尼さんになることに興味が出てきたと書きましたが、 早速、こんな裏事情を見るチャンスに恵まれ、 ある意味、これもラッキーですね。
お坊さんにならなくとも、理想的なお坊さん生活をしている方はきっとたくさんいらっしゃって、 お坊さんになるかどうかは、あまり大事でないとも言えますね。 それに気づかせてもらうために起きたできごとかもしれません。 感謝です。
*もちろん、こんなお坊さんたちばかりではなく、立派なお坊さんももちろんいらっしゃると思います。 欲のかたまりのお坊さんたちのために、 真面目に修行しているお坊さんまで先入観を持たれれてしまうのは困るので この記事は、単に私の体験談の範囲内での話ということでご理解くださいね。
ヴァラナシで人気のラッシー屋さん
最後に・・・ヴァラナシで人気のラッシー屋さんをご紹介。
メイン通りから奥に入った小さい路地を歩いていくと、韓国人の間で大人気という、このラッシーのお店があります。
路地に立ち並ぶお店のほとんどの看板が韓国語で、お店の人も韓国語が達者な方たちが・・・
まるで、リトルコリアでした。日本人の影は薄く、日本語の看板は隅っこに追いやられている感も。笑
いろんな味があって美味しいです。 私が選んだのは、ナシ味でした。
歩きながら見つけて、名前も知らない小さなお店です。路地裏を歩きながら、地元の人や観光客に道を聞きながら探してみてください(^^)