ラバングラのブッダパークでお釈迦様の人生について学ぶ

ラバングラのブッダパークに行ってきました。4年くらい前に来て、今回二回目です。

広い公園があり、小高い丘の上に、ブッダの銅像があります。

その中に入ると、ブッダの生い立ち、結婚、出家、苦行、そして苦行の無意味さを見出し、中道を悟り、教えを広め、最期の時までを詳細な英文での説明と、美しい壁画とともに螺旋状の階段に沿って描かれています。

その説明の中には、初めて聞いた、なるほど!と思うことがありましたので書いてみます。

ツシタという天国から、ブッダは、自分の決めた母親のお腹に、自分の決めたベストなタイミングで生まれてこようと、その時期を見計らっていたそうです。

もしブッダが天から神々しく降りてきたり、何か人がハッと驚くような方法で生まれてきたならば、もっと人々はブッダのことを神と見なすはずだったのに、なぜ、普通の人と同じように、母親のお腹の中に生まれてきたのか…

それは、もし特別な方法で生まれてきたなら、人々が、悟りを得るのは特別な人だけで、普通の人には関係ないと思ってしまうから。

出家をすることになるのに、なぜ結婚し子供も持ったのかというと、

普通は結婚生活や子供を持つことが人生の最上の喜びと見なされているけども、それ以上の喜びもあるということを示すため、とありました。

なるほど〜。そうして、ブッダは、一般の人々も悟りに至ってほしいという思いから、希望を持たせるように、自らの生き方で示されたのですね。

当初はヒンドゥーの教えに従って、苦行をしていたブッダですが、体が究極に弱ってしまいます。

そこでスジャータという女性が現れ、ミルクがゆをブッダに食べさせました。ブッダは、他の修行者達から罵られましたが、このことが、極端な修行の無意味さに気付くきっかけになりました。

その経験から、極端なことでは悟りには至れない。中道こそが真理であると悟られます。

ブッダガヤの菩提樹の下で、完全な悟りに至るまではここを離れないと誓い瞑想を始めます。

そこへ、悟りに至ろうとするブッダを邪魔しようと、色んな魔の手が忍び寄ります。

脅かそうとしたり、誘惑しようとしたり。

しかしブッダは、全く動じません。

このシーンでは、私達が日常で経験する、怒りや欲などに、いかにとらわれずに生活すればよいかを示唆しているように感じました。

怒りや欲などは、自分の中から生まれたものと思って、それについ従ってしまいそうになります。しかし、これらに従って判断したり行動すれば、自分の中心・真実から遠ざかることになると冷静になることで、これらの感情に、無意識に従ってしまうことはなくなる…

それをブッダはこのシーンで教えたかったんじゃないかなという気がしました。

ブッダが横になり、人生最期の瞬間、弟子たちに「何か最後に聞きたいことはあるかね」と問います。

そして「肉体があるものはいつか朽ち果てる。だから一生懸命、修行をしなさい」と言って、この肉体去られました。

このブッダパークのブッダの銅像の中のミュージアムでは、ブッダの人生の話が進むにつれ、階段を螺旋状に登っていくのですが、最後はどうなっているのだろうと進んでみました。

道の最後には、たくさんのカダ(シルクの布)やお賽銭が置いてあり、人々の祈りの跡がありました。

そのミュージアムを出て、チャイを飲みに行きました。

3つほどお店が並んでいましたが、オシャレで値段も高いお店。安っぽい店内のインテリアに安いメニューのお店。そして最後に見たのは、インテリアも値段もほどほどのお店でした。

私達はさっきブッダの中道の話を読んできたばかりでしたので、中道で行こう!と、一番最後に見た、ほどほどのお店へ行きました。
そしてそこが一番お客さんも入っていました。

マサラチャイ(香辛料の効いたミルクティー)と、ジンジャーティー、そしてモモ(蒸し餃子)を頼みました。

ジンジャーティーには、ブラックペッパーを入れてもらうよう注文。実は昨日、ある家でいただいたブラックペッパー入りのお茶がすごく美味しく、もう一度飲みたかったのです。

すると、今まで飲んだ中で一番美味しいチャイというくらいベストでした。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です