kongri maganam インド・チャリティーご報告 道なき道をゆく

インドの貧しい村に日本からの古着を配りに行ってきました。

主人が、先日、シッキム州のとても貧しい村へ、日本の皆さんが送ってくださった古着を持って行きました。先日お伝えしていた通り、ここは、危険なところだから私を連れてはいけないと、私が帰国してから一人で行くということでした。

彼の地元の人からも、危険だから気をつけて言われながら行ったそうです。危険と言うのは、例えば、道路も整備されていないし、今は雨季で土砂崩れも多く、歩くのも大変ですし、車も崖から落ちてしまうこともあります。

それに、「フードポイズン」といって、ただの食中毒ではなく、黒魔術的なものがあり、食事の中にわざと毒を入れて、ゲストが死ぬと、その家が繁栄すると信じられているものが、インドの田舎にはあるんです。迷信かと思いきや、実際、彼の近所の女性が、最近、それで亡くなりました。私も会ったことがある方であり、今回のインド訪問の時、お葬式もお手伝いしました。

その毒というのは、何か意志を持っているようで、持ち主が、それを使っていかなければ、持ち主自身に不幸がもたらされると信じられているようなんです。
ですから、私も「あまり何も食べないでね。危険と察知したら食べないでね。何かビスケットやチョコレートを持参してね」と言っておきました。
食事の前にお祈りをすると、それを避けることができるそうで、実際、彼の地元で私も仲良くなったクリスチャンの男性は、あるお店に入り、チャイを飲む前に、お祈りをしたら、パーン!とチャイのグラスが割れて、飲めなくなったそうです。お祈りによって守られたというわけです。

その後、彼の後に来たお客さんに毒が行き、亡くなってしまったという話を聞きました。

1日目。主人は、みなさんから送っていただいた古着、約60ペア(上下)を1つの袋につめ、およそ35キロくらいあったそうですが、それを担いで、3時間歩いたそうです。

雨が何日も降り続いたため、土砂崩れもひどく、彼も山を降りながら、なんども滑ったのだとか。

やっとのことで、整備された道路にいきついたそうですが、乗り合いジープは、もう今日は来ないと言われたそうです。
そして、親切な村の人に出会い、その荷物だけを置かせてもらい、フードポイズンを避けるために、泊まるのはやめて、

3時間かけてきた道をまた戻り自分の家に帰ったそうです。

(帰りは登りなので、もっとかかったでしょう)

2日目。晴れたので、今日こそはと、また出発しました。

3時間歩いて、昨日の場所まで到着。そして、ジープに乗り、2時間。
そしてまた35キロの荷物と共に1時間歩いたそうです。

そこから先の話は、まだ上手く連絡が取れず、詳しい話は聞いていないので、また後日書きます。

とりあえず、村の人々はとても親切で、フードポイズンにも当たらず、

何度も山の中で滑りながらも、村の人々を訪問し、会話をして、生活の状況を確認し、60ペアの日本の古着を無事配り終えたそうです。

健康に、無事、家に戻ったと連絡がありました。
私を連れて行かなくて本当によかったと言っていました・・・
電話で聞いただけなのでまだ状況はわかりませんが・・・
写真を撮ったそうなので、またいつかみなさんとシェアさせていただきます。

主人も私も、みなさんの大きな愛で送っていただいたお洋服を、一着もムダにしたくない。一番必要な人から、届けていきたいという思いがあります。インドは、日本のように、郵便のシステムや、交通網も発達していませんので、主人のアドレスにこれまで到着した荷物も、山道を30分登って、取りにいき、また運ばなくてはなりません。家までは持ってきてくれないそうです。
しかし、主人は、雨の日でも連絡があれば、取りに行っていました。
「晴れてからでいいんじゃない?」といっても、「日本のみなさんがせっかく送ってくれたのだから、みなさんの気持ちを大事にしたい」と、一日も早く、受け取り、必要な人に配りたいという気持ちでいるようでした。
また、貧しくて、助けが必要なところほど、アクセスが難しく、歩いていく以外はないような場所にあるので、このようにして危険と隣り合わせです。

これからは、主人も日本に住む予定でいますので、これから日本のみなさんが送ってくださる服は、私たちが訪問した村に直接送っていただこうと考えています。

送りたい古着などがあれば、また個人的にメールくだされば、個別にアドレスをお送りいたしますので、よろしくおねがいいたします。
*ある国では、過剰に余り、捨ててしまう食料、衣類が、ある国では、異常に不足しています。

もっと均等に、余っているところから、不足しているところへ届けられるシステムが作れたら、と何年も前から思っていました。

ちょうどインドとご縁があり、両方の国をつなげることが、少しずつできています。

みなさんからのご協力、これからもよろしくお願いします。

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チャリティーのご報告です。主人が約1週間前に来日しました。
日本に来る前に、みなさんから送っていただいた古着全てを配り終えることができましたので、詳しい内容をお知らせします。
チャリティーカテゴリーで以前の記事を見ていただくと、少し書いたのですが、まだ本人から詳しい話と写真をもらってなかったので、今回、やっとご報告できる次第です。お待たせしました。
本当に困っている人たちの所へ行って、日本からの古着を届けたいね、ということで、道なき道を旅して辿り着いた場所の名前は、
kongri maganam というところ。
貧しい地域は、交通網もないし、食事なども危険な場合が多いので、私を連れて行かず、一人でいくということで、私が一足先に帰国した後、行ってきてくれました。
主人の家から、↓ こんな山道を、2時間ほど歩き・・・でもタクシーがもうその日はないということで、荷物だけ知らない人の家に置かせてもらい、また2時間、家に引き返して、翌日、気を取り直して出発。
やっと、道らしきものが現れてタクシーに乗り(しかし、道路も崩れかけていて、非常に危険)、1時間。
そしてまた2時間歩き・・・
下の場所で、崖から落ちたらしく・・・しかも、35キロほどのみなさまからの古着を背中にしょったまま・・・
誰かに引っ張ってもらい、なんとか崖を登って・・・
途中に、がけ崩れで、めちゃくちゃになった学校もあり・・・(ちょうど夜だったので、子供たちもいなくて助かったらしいです)
しかし、結局その日は、目的の場所まで到着できず、途中の家に泊めてもらったそうです。
とても古い家で、習慣も考え方も、主人の家の地域のレプチャ・コミュニティより、ずっと古いな~と感じたとのこと。
最初は、人々が、主人のことを、政府から仕事で何かをしに来た人だと思って、怖がって心を開かなかったそうなのですが、一度、心を開いたら、フレンドリーになり、お互いのいろんなことを話すことができたのだとか。
ここの地域の人々は、レプチャ語しか話さず、学校の教育も、近代教育はなされてないそう。
人々は、この地域から出たこともなく、外の世界はどうなっているか知らないとのことです。
最初にとめてもらった家にいた女の子。キッチンの前で。
このベッドには、ご両親が寝て、子供たちは、床に動物の皮を敷いて、寝るそう。
この最初の家でも、12名ほどの子供に服を配ることができたそうです。
写真が、日本のみなさんから送っていただいた服を着て撮ったもの。
モダンな感じになりましたね♪ かわいいです。
この写真撮影の後、嬉しそうにジャンプしながら、どこかへ行ったそうです。
そして、他の子供たちにも「誰かが洋服を持ってきてるよ!みんなもおいでよ!」と呼びに行ってくれたそうです。
子供の親御さんたちも「知らない私たちのために、ありがとうございます。私たちは他の世界を知らずにここに住んでいますが、でも、私たちのことを知らない人たちが私たちのために服を送ってくれているんですね」
と仰っていたそうです。
そして翌朝、最初に目的にしていた場所へ出発しました。
つづきます・・・
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下の写真のレプチャの男性が、主人を昨日の家に泊まることや、次の日の目的地(karchi martam)までガイドしてくれた方だそうです。
この村で、尊敬されているお坊さんであり、4人の子供たちのお父さん。
2人の息子さんもお坊さんを目指して勉強中。
ちなみに、この男性(naksingさん)は、去年、主人の村で一番最初にサポートした
3人の小さなお坊さんのうちの1人のお父さんだったとのことです。(笑顔がとてもかわいい小さいお坊さん、覚えてらっしゃるでしょうか?)
この村がとても貧しいと言う話を聞いていたので、いつか行きたいと去年から主人が行っていたのですが、知り合いもおらず、いきなり行くのは無謀だと思っていました。
しかし、最初のサポート先のお坊さんが、このnaksing さんに連絡をつけてくださっおかげでスムーズに行きました。
主人が再び、20メートルほどの崖を荷物と一緒に転がり落ちてしまったそうなので、naksingさんが「私が運ぼうか」と言ってくれたそうです。
主人も山の中で育ったはずですが、数年の都会暮らしで都会人になってしまったのか、naksingさんに「この村で育ってないから、この道を歩くのは無理だよ」と手伝ってくれたのだとか。
家に辿り着くまでに途中で出会った、ジャングルの中で薪を集めていた少女たち。
右端の笑顔のかわいい女の子は、naksing さんの娘さん。7歳くらい。
最初の家から、1時間山を降りて、また別の山に1時間登り、
naksing さんの家に到着。
naksingさんの家の子供たちや、近所の子供たち10人ほどに服を配りました。
一晩休んで、翌朝・・・
45分ほど、険しい山道を登り、別の村(labdang)へガイドしてもらいました。
写真で見ても、ほとんど垂直の道です(^^;)
この村で出会った子供たち。6人ほどの子供たちに服を配ったそうですが、カメラのバッテリーがなくなり、撮れなかったそうです。
最初、やはりここでも、「服をくれるなんて、何か裏にあるんじゃないか、子供を連れて行かれるんじゃないか」と人々は恐れていたそうです。
主人は、「私には、他の村にも大勢の子供たちがいますから、ここの子供たちを連れて行ったりしませんから安心してください。
子供には親のサポートがいります。
私たちは、服をあげるのに、一銭もいただきません。
ただ、子供たちに、もっと幸せを運びたいだけなんです」と言うと、
すると、親御さんたちは、「あなたは、素晴らしい仕事をしています。お寺に行って、たくさんのお金を払い、幸せや平和を願い祈る人たちもいます。しかし、あなたたちは、子供たちに会って幸せを配るという仕事をしている。それは素晴らしいことです!」
主人は「日本のみなさんのサポートによって、この仕事をしているにすぎません」
naksingが、主人が疑われているのを見て、かばうように、行く先々で、その都度、説明してくれたそうです。
「彼は、私たちレプチャ族の同胞なんだ。日本人の女性と結婚して、日本にまで行ったのだ。
私たちの同胞が、私たちが夢でしか見ないような世界(日本)まで行って、私たちの子供たちのために仕事をしているんだよ」
チャリティーにご協力くださったみなさん、本当にありがとうございます。
今後は、直接、この村(その他、これまで配った他の村にも)の住所へ送ってもらうことができそうですので、まだまだ募集しています。
断捨離で、服を捨てる代わりに、インドの不足している人々の幸せに役立てたいという方がいらっしゃいましたら、どうぞ、ご連絡くださいませ。
(日本には、断捨離といって、物を捨てるためのセミナーがあったり、物を捨てる方法を教える先生がいるんだよ。というと、
主人の目は宙を泳いで、言葉を失っているようでした・・・^^;
よほどショックだったようです。
みなさんの周りに断捨離の先生がお近くにいらっしゃったら、ぜひこのインドの情報をお伝えしていただければ幸いです。)

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