ネパールのソロコンブ チャリティー ヒマラヤの山奥3300メートルにある学校を訪ねて

カトマンドゥより
2/14
デリー最後の夜。滞在先の友人宅で、巻き寿司を作って食べてもらいました。
チェリンの日本語教室で知り合った、チェリンと同じ民族のレプチャ族・ディミットさん。
その旦那さんのパダムさん、娘さんのソーヤムスちゃん。
ネパール人の家族ですが、
ソーヤムスちゃんの癌の治療のため、デリーに住んでいます。
パダムさんたちのお陰で、スムーズなデリー滞在でした。
2/15
ネパール、カトマンドゥに着きました。
ネパールのチャリティーをサポートをしてくれているチワン君に会う前に、
パダムさんが紹介してくれたパダムさんの親戚の家に泊まることになりました。
滞在先のご家族が空港まで迎えに来てくださいました。
叔父さんは、タンカ(仏画)のアーティストで、
パダムさんの弟さんは歌手、叔父さんの娘さんは、ミス・ネパールでモデルとのこと。
叔父さんは、日本にも何度かタンカの仕事で来られたことがあるそうです。
チャリティーの仕事が終わったら、タンカと歌を教えてもらえることになりましたo(^-^)o
ネパールの状況ですが、叔父さんの家でも、キッチンはガスの節約のために薪を使って調理したり、
ガソリンは朝3時から6時間ほど列に並んで待ったりしているようです。
旅行者として来ていたら大変だったと思うので、今回の生徒さん達とのツアーはキャンセルにしてよかったと思います。
2/16
チワン君と再会。1年以上ぶりです。
チワン君はネパール人で現在はインドで仕事をしていますが、ネパールに帰国したときに、私たちのチャリティーの活動を現地で繋げてくれています。
叔父さんの家を出て、チワン君の部屋へ移動。
今日は話し合いをして、明日からいよいよチャリティー始動です!
2/17
カトマンドゥからジープで11時間かけて、ソロコンブに到着しました。
11時間の道中は、ジープにギュウギュウになって座り、
崖っぷちや川の中を通ってきました。
ガードレールが所々にしかない、断崖絶壁の所をスレスレに走っていくとき、窓から見下ろすと数千メートルの崖がすぐそこにあり、なかなかのアドベンチャーです。
10時間以上の激しい揺れの中での旅は、なかなかハードでしたが、 目の前に突然、バッファローや山羊の群れが現れたり、こんな所に人が住んでいるのか!と驚くような山の中腹に美しい家があったりと、途中で見る景色は絶景でした。
ここから、チワン君の弟さんの働く学校まで数時間歩かなければいけませんが、4時過ぎに到着したので、宿に泊まることになりました。
ここは高山地帯なので、食べ物がカトマンドゥと比べて、べらぼうに高いです。
ビスケットが、カトマンドゥでは20ルピーくらいが、ここでは300ルピーもしました。
2/18
朝6時半に宿を出て、歩き始めました。
車が通れない場所なので、登山です。
最初は4時間と聞いていましたが、5時間、6時間たっても着きません。
チワン君は、小さい頃しか行ったことがないらしく、途中で道を尋ねながら進んだのですが、どうも道を間違ったみたいです。
いくつもの山を上り下りし、到着したのは、2時過ぎでした。
7時間半かかってしまいました。
最後の方はもうクタクタで、頭痛もしています。
高度は3300メートルだそうで、それででしょうか、それとも疲れすぎたからかもしれません。
学校に到着する手前で2人の子供達が迎えに来てくれました。
ここ、シュリ・ヒマラヤン・シェルパ・ブッディスト・スタディーセンターは、102人がいる学校で、ほとんどは寄付でまかなわれており、授業料は無料か、払える人は1年で5000ルピーのみ。
寄宿制で、みんなが一緒に働き、勉強しています。
大きな山から吹き下ろす強い風の中を進み、学校へ到着しました。
大自然の広大な土地の中に簡易な建物やテントがあります。
地震の時、 地滑りが起き、 建物も壊れ、近くの土地へ移動しまた建てなおしたそうです。
以前の場所はさらに高い山の向こうにありました。
そこは3500メートルくらいだそうです。
なぜこんな僻地に学校を?と思って聞いてみると、昔チベットのお坊さんが訪ね、ここを聖地とし、学校を建てた創始者の意志を今も引き継いでいるからだそうです。
僻地ゆえにチャリティーが必要になるのですね。
食べ物も遠くから運んでこなければいけないそうです。
以前、地震のときにみなさんに寄付をいただきましたが、その時の寄付は、ここで
35キロの米18袋、歯磨き粉、石鹸、テント7つ、
などを供給できたそうです。
緊急時にみなさんに迅速に対応いただいて、本当によかったです。ありがとうございます!
車が通れない山道なので、どうやって運んだのかと聞くと、トラクターを使ったのだそうです。
チワン君の弟さんがここで先生として働いていて、地震のときに弟さんがチワン君に何か協力を頼めないかと聞いたところ、ちょうど、日本のみなさんからの寄付が届いて、ピッタリのタイミングだったそうです。
みなさんから送ってくださった古着も7箱集まり、チワン君が年齢別に仕分けして、4つの学校に送り、
この学校の102人全員にも行き渡ったと聞きました。
古着を送ってくださったみなさん、ありがとうございました!
子供達はいまでも、小さな物音で、地震の恐怖を思い出し、夜中に部屋を飛び出してしまう子がいるそうで、
校長先生自らが、子供達のそばで寝るために寝室を移動したというお話も。
70才になられる校長先生であるお坊さんが、首にカタという布をかけてくれました。これはゲストを歓迎する表現で、ハワイのレイみたいなものでしょうか。
座ってくださいと促され、座ると、
子供達が次々とカタをもって首にかけてくれました。
それが、数人で終わらず、次々ととめどなく来るのです。
20人、30人、40人、50人・・・と、
想像もできないほどのカタが首にかけられていきます。
驚くべきことに、102人全員がカタを首にかけてくれました。
それはもう、エンドレスで神から祝福のシャワーを浴びているようでした。
ありがたさで一杯になり、涙が出てきました。
チワン君も、そばで見ていて、感動で胸が一杯になり、言葉が出なくなったそうです。
こんな素敵な歓迎をいただいた私達ですが、 これはむしろ、寄付や古着を送ってくださった日本の生徒さん、ブログ読者さん達に感じてほしいことだと思いました。
私達が受けたエンドレスの祝福のシャワーをみなさんにもぜひ届けたい!と思いました。
そこで、子供達に何か日本のみなさんにメッセージをもらえないかと伝えてもらうと、手紙を書いてくれたり、ビデオメッセージを撮ることができました。
こちらをぜひご覧ください!
ちなみに、体調の方は大丈夫です。
その日は4時に寝させてもらい、朝6時まで寝て、回復しました!
2/19
パンケーキに、ヤックのミルクで作った美味しいバターを朝食にいただいて、校長先生と先生達と一緒に子供達の宿舎や、教室を見に行きました。
お坊さんの生徒25名、女子学生25名、男子学生25名、
に制限して入校させているそうですが、
1年くらい前から席を確保する人たちがたくさんいるそうです。
宿舎も教室もお寺も、とても簡素でした。
強風のために、ビニールで作られた壁や天井は穴が空いており、雨漏りがしたり、穴から風や砂埃が吹き込んでくると勉強できないという状況だそうです。
この対策が今一番求められているということでした。
最初、何枚くらい必要ですか?と尋ねると、
私達が小さな個人規模でやっているということを考慮してくださり、「こちらが、何枚と頼むよりも、そちらが無理のない範囲で大丈夫です。」といってくださいました。
後、3つの場所を回るので、そちらの配分も考慮して、こちらの学校には36枚のスチールの板をみなさんに今回いただいた寄付でまかなわせてもらいました。
学校を出るとき、校長先生と、ある一人の先生が、最後にカタを再び首にかけてくださいました。
今回は、よい旅と幸運を祈ってのカタだそうです。
学校を出て、5時間半かけてジープが来る場所まで歩きました。
今回はチワン君の弟さんもついてきてくれたので、道に迷わず、早めに到着しました。
到着してすぐに、お店に寄り、スチールの板を注文しました。
弟さんがトラクターで運んでくれるそうなので、1週間以内には、学校の緊急の問題が、一段落しそうです(^-^)
この日は、弟さんの借りているアパートに一泊させてもらいました。

 

2/20
チワン君の弟さんの部屋に一泊して、朝4時半のジープで出発です。
でもネパールはインドと同じ時間感覚。
4時半が出発の時間なのに、
弟さんが「まあお茶でも飲んでから行きましょう~」
チワン君も「弟がお茶を煎れてくれるって言ってるから、断るのもなんだし飲んでから行きましょう~出発するときはドライバーが電話してくるから大丈夫」
という調子です。
ドライバーから弟さんに電話がかかり「ああ、今でたとこです。はい今から行きます。お茶飲んでから…(笑)」
みんなゆっくりお茶を飲んでから、急ぐそぶりも全くなく、出発しました。
まだ暗い道のりを歩いていると、
チェリンが「京子!小さなウサギがいるよ!」と言うので見てみると、小さな可愛い赤ちゃんウサギが、ちょこんちょこんと飛び跳ねています。
抱き上げてみんなでナデナデしました。
ジープは他の乗客を迎えに行ったりして、結局5時すぎに出発しました。
吐く人2人、メンタルの患者1人、許可証不携帯で警察に捕まるドライバー…
などなど、ハプニング続出で
「乗る車間違えたかな~」
と何度かつぶやきましたが、
笑いに変えて、旅を楽しみました!
2/21
次のチャリティー先の学校へいくために、カトマンドゥを朝6時半に出発して、バスに乗りました。
いきなり、モグリンという所で、3時間ほど交通止めになりました。この先で、道路工事が行われているそうで、12時から3時までどこかで過ごすことになりました。
せっかくだから、このハプニングも楽しもうということで、ゆっくり時間をかけてランチできるレストランを探しました。すると、とっても美味しいご飯を出してくれる所に巡り会うことができました!
私はモモ(餃子)、チェリンはドィーロ、チワン君はローティタルカーリーを注文しました。
合計で500円以下でした。
チャイもギーが入っていて、とても美味しく、満足!
そうやって楽しんでいたら、あっという間に3時間たっていました。
ナラヤンガルという所で、チワン君の妹分という尼さんと、もう一人の尼さんがバス停に迎えに来てくれていました。
チワン君の妹分の尼さん、アニ・ヤンチェンさんとバスの中で少し話しました。
彼女は歌がとても上手いそうで、そのことを聞いてみると、
「私はラブソングは歌わないのよ。全人類のために歌うスピリチュアルな歌しか歌わないの」
とのこと。
「着いたら、あなたの一番好きな歌をぜひ歌ってくださいね」と頼むと、「もちろん、いいですよ」との返事。
目的地であるダワンネに着きました。
チャリティー先の学校というのは、主に尼さんたちのためのお寺兼学校です。
以前、地震のときに、日本のみなさんからの寄付で、チワン君が繋げてくれたところの一つです。
朝6時半に出て、到着したのはもうすっかり日も暮れた夕方の6時半でした。
暗い石段を登っていく時に、アニ・ヤンチェンさんが、ここのお寺の由来を話してくれました。
お寺のある森は、ブッダのお母さん、マヤーデヴィがまだ結婚する前に瞑想をしていた場所だそうです。
マヤーデヴィ姫はとても美しく、多くの王子たちが結婚したがり、王は戦いに勝った者を選ぼうとしていました。
しかし、姫は戦いが行われるのを嫌がり、森に逃げ、9ヶ月の瞑想をしました。
姫は、瞑想中にメッセージを受け取ります。
「姫がいなくなって、家族も市民もみんな悲しんでいる。
王子たちも、自分達のせいで姫がいなくなったことを後悔して、もう戦いから手を引いた。だから家に戻るように」
と。
そして、家に戻ると、ブッダの父になる王子が結婚を申し込みに来て、姫は結婚しました。
というエピソードをアニ・ヤンチェンさんが話していました。
お寺につくと、ちょうどこれから夜のプージャ(儀式)が始まるとのこと。
小さい子供から年配の大勢のお坊さん、尼さんたちが集まり、ラッパやドラムや仏教のチャンティングが響く中、こちらの作法に従ってお参りしました。
私たちは今日ゲストとして参加しているので、たくさんにローソクに火をつけるように言われ、その間校長先生がマントラを読んでくれていました。
床に座ると、美人の尼さんの先生が、チベット語のテキストを読み上げます。仏教の教えをみんなチベット語で聞きながら少しずつ覚えていくそうです。
そして、フルーツの盛り合わせがみんなに配られました。
聖水のカップに入ったミルクティーが、校長先生である尼さんよりスプーンで手のひらに注がれ、飲みました。
カルダモンのスパイスがよく効いた、あま~いチャイでした。
その後、アニ・ヤンチェンさんが前に出てきて、2曲歌を歌われました。
一曲目は、前ブログでも紹介した、ネパール人歌手で尼さんのアニ・チョインドルマさんの曲で、フルコーアカマ。
二曲目は、名前はわかりませんが
とても心に響く歌声でした。
そして最後に子供達が英語で歌いました。
今まで参加したいろんなプージャの中で一番というくらい、充実した内容でした。
3時間の通行止めがなかったら、2時間くらいで次の目的地に行くところだったし、このプージャにも参加できなかったねと話していました。
夜ご飯になり、外のオープンなスペースで尼さんの先生達と一緒にご飯を食べました。
英語をボランティアで教えに来たイギリス人の女性も同席しました。彼女は仏教にとても興味があり、今ダライ・ラマ法王の本を読んでいるそうです。
尼さん達は、笑顔が輝いていて、目澄んでいてとてもキレイです。
話し方もすごくソフトで優しくて、とても安心感を与えてくれます。
10時くらいまで話し、この日は休みました。
2/22
朝4時から6時までプージャがあるけど寝ていてもいいですよと言われていたので、疲れていた私たちはゆっくり休みました。
6時頃、校長先生を呼びに行き、朝食をとりながら、チャリティーの内容について話しました。
この学校は、女児を中心に、孤児や貧しい家庭の子供や、暴力を受けて保護を必要としている子供達のための学校だそうです。
ブッダのお母さんが独身の時に瞑想した場所なので、女児達の母親のような役割をするお寺なのだそうです。
昨日、先生が「焚き火があると、暖を求めて人が集まり、火が消えると人は去っていきますが、私たちは、ここで仏教の”知識”という火を子供達に与え続けている」というお話が印象的でした。
両親が離婚して、非行に走った子がここに学びに来ると、親は先生と同じであることや、みんなが一つの家族だよということを学ぶにつれ、どんどん態度が変わってきてくるというお話も。
つづきます。。

投稿カテゴリー
up
error: Content is protected !!