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チャリティーの3つ目の目的地は、アムレーガンジです。2番目の学校を10時半頃でて、4時頃つきました。ここは2番目の学校で、歌を歌ったチワン君の妹分である尼さんの故郷だそうで以前、地震のときに、チワン君が日本のみなさんからの古着を持って行ってくれたところです。
チャリティーの3つ目の目的地は、アムレーガンジです。2番目の学校を10時半頃でて、4時頃つきました。ここは2番目の学校で、歌を歌ったチワン君の妹分である尼さんの故郷だそうで以前、地震のときに、チワン君が日本のみなさんからの古着を持って行ってくれたところです。
ここは今まで行った中でも一番貧しそうな学校でした。まず看板もないし、周りの土地は荒れ放題で、いろんな廃棄物が散らばっています。トイレも恐ろしいくらい汚いです。
1つだけある建物の中も暗くて、ペンキも少ししか塗られておらず、壁から何か配線のようものがたくさん出ています。子供達は待ってくれていたそうですが私たちの到着が遅れたので帰ってしまったのだとか。水と食べ物が出てきましたがこの水は飲まない方がいい気がしました。
チェリンとチワン君は飲んでしまい後で頭痛や、首の腫れがあったようです。
失礼だとは思いながらもこの先病気になってしまっては何もできなくなるので、
極力出されたものは避けていました(^^;)
チェリンとチワン君は、相手の気を悪くさせたくない思いで
自分の健康を犠牲にしたようです。
話を聞いてみると、ワケが分からず混乱しました。
この学校は10年前に登録されて
学校も始めたそうなのです。
そして、お寺も一緒に発展させたいそうで
大きなブッダやいくつかの御神体が、
飾られていましたが、まだ魂が入っていないので
目隠ししてありました。
10年前からあるのに、この完成度?と。
外を歩くと、ボロボロの廃棄された鉄道の駅がありました。
最近、さきほどの建物ができるまでは
ここで教室をしていたそうです。
えっ!ここで?というような所です。
机も椅子もないし、ただ雨除けがあるだけの空間なのです。
話をいくら聞いても、意味がクリアーでないところが多く、チェリンに説明を何度も求めたのですが、チェリン自身も、聞いても意味があまりわからなかったと言っていました。
状況が複雑だからか、先生が混乱しているからか、
ネパール語が分からない私には、判断がつきません。
推測するに、この駅の場所で10年前から始め、
新しい建物では最近から教え始めたということでしょうか?
先生は女性ひとりで、後はお手伝いの人たちが何人かいました。
この日は遅かったので、先生のご自宅に泊まることになりました。
そこへの道すがら、チェリンは先生と話していたので、私はチワン君と話し合いました。
「看板もないし、ペンキも少ししか塗られてないし、
ここが学校かどうかも外から分からないよね。
まずそれからのサポートはどうだろう?」
先生のご自宅の窓にはガラスが入っておらず、蚊がどんどん入ってきます。
「ここで、寝れるのだろうか?」
という不安がよぎります。
インドでデング熱になった経験があるので、蚊には敏感になっていました。
先生が蚊帳を出してくれ、その中に入って寝ました。
チェリンとチワン君は、その間、先生に
メンタリティのサポートから行っていたようです。
「あなたは私たちより年上で、先生でもあるので
私たちがアドバイスするのはおこがましいですが
もしお伝えできるとしたら、いいですか?」
とチワン君が言うと
「ぜひぜひお願いします。私たちは混乱していて
何をしていいか分からない状況なんです。
あなたたちのアドバイスは全て歓迎します。
大きなサポートになるでしょう」
「あなたは内面的にはとても多くの努力をされてきたでしょう。お察しします。
しかし、人に知られたり、サポートを受けるには
外側から見えなければなりません。
自己成長のためには、内面的努力が必要です。
でも社会的成長のためには、外面的な努力が必要です。
まずは看板を出し、ペンキを塗り、周囲を綺麗にし、
学校の紹介を書いた文書を作ってゲストが来たときに見せられるようにしたりすることから始めましょう。
私たちは少ししかお手伝いできませんが、
看板を出すことと、ペンキを塗るための資金をお手伝いしたいと思います」
先生は提案を受け入れ、日本のみなさんの寄付に感謝されました。