ヨガ・瞑想を始めたきっかけと、私のビフォーアフター

今日は、ヨガ・瞑想を始めたきっかけと、私のビフォーアフターについて話したいと思います。

 

まずは、ビフォーから

瞑想を始めた15歳の時まで、

私の性格は、くら〜い、ネガティブ思考でした。

家庭訪問で、担任の先生から、「くら〜い顔してますよ」と言われたと母が言っていたのを思い出します。

幼稚園の時から、友達の輪に入れず、

自分の周りからは、パーっと人が去ってしまうような感じ。

3人で遊んでいても、私だけ一人ぼっちになってしまって、喧嘩をして家に帰っていました。

中学生の時にも、お弁当を食べている時に、「京子ちゃんの目を見ると、悲しくなる」と言われたこともありましたね。

 

一方、小学生の時は、黒柳徹子さんのチャリティ活動を見て、私も将来ああなりたいと思って、

段ボールでゴミ箱を作り、マジックで「ゴミのない街に」と書いて、市役所に届けると、新聞に載ったり、

近くの老人ホームに(全く縁もゆかりもない)、自宅がケーキ屋だったので、クッキーを箱詰めして、寄付したり・・・

何かしたかったんでしょうね、そんな一面もありました。

が!それを担任の先生にクラス全員の前で、褒められると、友人たちにいじめられて、途端にそういう気持ちが萎えたりしていました。(→後にヨガ通信講座をインドから始めたことで、インド、ネパールでのチャリティが実現し、子供の頃の夢が叶いました!詳細はこちらをクリック)

 

両親は優しくて、仲が良くて、家に帰るとなんでも話を聞いてくれていました。

でも、いつも家の商売で、忙しそうでしたね。

 

・自己肯定感低い

・誰かの言った一言や、ちょっとした態度にすぐ傷つく

・すぐにネガティブに受け取る

・孤独、さみしい

・いつも気分が沈んでいる

・自己否定

・自分のことが好きになれない

 

こんな自分の特性が出ていた頃でした。

 

(でも、今ふりかえると、こんな自分も全部ひっくるめて、これも自分の一部で、

愛おしく抱きしめて、大丈夫だよって言ってあげたい)

 

 

そして、アフター

 

 

もう、こんな自分をどうにかしたい!と苦しみが限界まで達していたようで、

雑誌の広告にあった、パワーストーンを購入したら、

おまけでカセットテープがついてきたんです。

それが何かよく分からなかったけど、毎晩寝る前に布団の中で聞いていました。

そしたら、嘘みたいな話ですが、

どんどん性格が明るくなってきて、

不思議なことに今までなかったような、

自分自身に対する「誇り」「自尊感情」が芽生えてきました。

 

すると、周りの友人たちの態度が変わってきて、

小さい頃から、私をいじめていた女の子が

私を見て、恐るような顔をして

「なんか、あんた変わったね」とビクビクして言いました。

私の周りには守られているオーラのようなものがあり、

それ以上は近づけないような感じがありました。

 

「あ、本当に、何か私、変わってるな」

と自分で気がついた瞬間でした。

 

そんな変化のきっかけになった、カセットテープというのが、

「瞑想」だったのです。

後に瞑想を深めていき、教えるようになって気づいたことは、

「瞑想だと知らずに、体験が先にあり、予備知識がなかったこと、効果を期待しなかったこと」

この瞑想との出会い方が本当によかったな、と。

知識が先で、効果を期待すると、瞑想は効果が出ないからです。

 

 

それと、補足すると、

ナポレオンヒルの「思考は現実化する」という本を

兄にもらって読んでいたことも、

ネガティブ思考を脱却する一助だったと思います。

 

高校生からは、一気に楽しく充実した日々になりました。

友達ともうまくコミュニケーションが取れて、親友もできました。

 

行動力も出てきました。

大学に入り、

外国語大学だったこともあって、

先輩たちが海外によく行っていたので

私も話を聞いて、

2年間休学して、世界各国、放浪の旅にでました。

宿も決めず、100%直感で動く

自由で解放的な2年間でした。

 

海外に旅立つ前、香港にいけばジャッキーチェンに会えるかな?と思っていたことが

まさかのオーストラリアのメルボルンで、実現しました(当時20歳の私)

早朝歩いていて、カフェの前で、馬の鼻をなでていた、

時間を持て余していたように見えるジャッキーに、

誰も気づいておらず、話しかけるチャンスがあったのに、ひるんでしまって

遠目にしか写真を撮れませんでした。

 

コロンビアで、いい出会いがあり、

アジアカルチャーセンターの所長さんの家に泊めてもらいながら

日本語教師をやったり

大学や和食レストランで書道パフォーマンスをやったりしました。

途中、アメリカに出稼ぎに行き、和食店に飛び込みで雇ってもらうことを交渉し、

メキシコ人に教えてもらった(でたらめな)「寿司」の作り方

が、コロンビアでも生きて、「Susi」の露天販売したこともあります。

今思うと、まるで、近江商人の「のこぎり商法」のように、今度は、

南米で学んだサルサを、帰国後、

神戸新聞カルチャーセンターと、朝日新聞カルチャーセンターに

自ら売り込みに行き、クラスを持ちました。

下手だったけど、まだあの頃は、日本人全くサルサを知らなかったですからね〜

なんとかなったんだと思います(笑)

いろんな年代の生徒さんが来てくださり、

生徒さんの家でホームパーティして踊ったり、

ビーチパーティして踊ったり、楽しい日々でした。

 

15歳まで、あんなに暗くて、人の輪に入れなかった私が、

こんなに行動的な自分になって

大勢の前で、ダンスを教える講師になるなんて・・・

こんな変化も、今振り返ってみると、

瞑想を始めたことがターニングポイントになったのです。

 

 

そして、またまた試練の始まり・・・

 

ところが、24歳の頃、

人に裏切られ、命を絶とうかと思ったほど苦しみました。

 

でも、ハッとして、こんなんじゃだめだ!と

一念発起し、大学院に進学。

 

目的は、海外放浪の時が楽しく、多文化比較、多文化交流が好きだったので、

海外で文化人類学の研究をする道に進みたかったからです。

 

勉強を頑張った甲斐があって、

入学試験優秀者にもらえる返済不要の特別奨学金をいただきました。

アフリカに先生の研究のヘルプに行ったり、

メキシコに調査にいき論文を書いたりしました。

 

そのまま順調に進めば、大学教員という道もありましたが、

アフリカで先生と一緒に家に住み、ずっと一緒にいた

「自分のパーソナルスペースを確保できないシンドさ」を

先生にうまく伝えることができず、ギクシャクして決別。

帰国後、先生を変えることになりました。

(→今は、オンラインで仕事ができるので、

世界中どこにいても好きな時に仕事ができ、

大学教員になるよりも、

自由と豊かさの両方を手に入れることができたので結果オーライです)

 

 

途方に暮れて、1年休学し、

別の大学附属の、心理カウンセリングセンターの受付として派遣で働きました。

その間に、初めてのネットビジネスを私は挑戦したこともあります。

アフリカで買ってきた「お面」を自作のホームページで売ってみましたが、

全く売れず(汗)なんてこともありました(笑)

 

 

人生、迷いに迷っていましたね。

派遣の仕事と、家の往復で、またまた

闇の中にいるような気分の時に始めたのがヨガでした。

最初は、本を買ってきて、自宅でやっていました。

 

気分が落ち込み、内側に篭りたい時だったので、

ヨガをやっていると落ち着きました。

 

立命館大学院にいる間、京都新聞社の秘書としてバイトをしながら、

次の道を模索していました。

某大手英会話スクールに英語教師として採用されるも、

自信が持てずに、仕事を始める前からやめたこともありました。

本当にいろんなことをやっては、迷い続けていました。

 

友人に勧められて、人からお金を借りてまで、

50万円の講座に投資し、始めたのが、コーチングの勉強

学校側は、「初心者でも、すぐに仕事を始めて練習するように」という方針だったので、

最初は、友人にやり始めました。

大学院卒業し、縁があって静岡に住み始め、

そこで、派遣で事務職をしながら、コーチングを副業としていました。

その頃から、ブログを書いて、ネットで集客することを始めていました。

 

コーチングは、会話のやりとりがメインのことが多いですが、

私は、ダンスやヨガというボディワークをやってきていましたので、

また、ダンスと心理学を組み合わせたダンスセラピーを東京の精神病院で学ぶ機会もあり、

「体を使った非言語コミュニケーション」や「潜在意識、体、心、動きのつながり」についてや、「体を使う方が、変化が早い」ことを知っていました。

 

 

チャンスが巡ってきて、自分らしさを生かしたビジネス

静岡の起業塾でアドバイスいただき、

南米で学んだサルサや、ヨガ、瞑想、コーチング、心理学、

今までの自分の経験、全てを混ぜ合わせた

オリジナルプログラムを作ったことで、

六本木ヒルズで講師をしたり、全国の商工会議所や、

会社にワークショップしにいかせてもらいました。

 

ずっと学生時代は貧乏でカツカツの生活でした。

親の商売がうまく行っていなかったため進学を諦めるよう言われたものの、

「自分で働きながら、奨学金でなんとかするから!」

と強引に進学させてもらったので。

 

しかし、この頃、企業での2日の数時間のワークショップで、

20万円ほど講師料をいただけるようになっていました。

 

NHKに、15分間、私の仕事について取り上げていただいた時の動画

鶴田京子のダンスコーチング in 六本木ヒルズ NHK取材 (2006年) from Kyoko&Cherrin on Vimeo.

 

 

その頃、ヨガスタジオも自分で経営してみましたが、

スタジオ代などの経費を稼ぐため

運営に気を取られ、

「教えることに集中できない」苦しみがありました。

それに、日本で一番有名だった先生を選んで

東京のヨガインストラクター養成講座に行ったものの、

知識に自信が持てませんでした。

 

ヨガは好きだけど、

こんなんじゃ続けていけないな・・・

 

この仕事を一生続けていくためには、

本場のインドで本格的なものを学ぼう!

 

と思って、2007年、インドに行ったわけなのです。

そして、気づけば5年もインドにはまり・・・

 

は〜、インドにいくまでの話だけで、ものすごく長くなってしまいました。

(インド以降も、また物凄く長い話になってしまうので、割愛)

 

私の人生は、インドに行ったことで大きく変わりました。

仕事も、自分の在り方も、パートナーシップも。

 

そうそう、それと、

インドの哲学コースで、チェリンと出会い、

とても優しく、大切にしてもらっていて、

いい夫婦関係を築けているのも、

ヨガ瞑想のおかげで

自分を大切に尊重できるようになったからと言えます。

 

 

インドでの経験が強烈すぎて

メインになってしまっているので

インド以前のことは、実は

海外放浪のことも、あまり覚えていないんです。

 

でも今日は久しぶりに振り返ってみました。

 

どんな思いで、瞑想やヨガを始め、

そして、そのことで自分がどんな風に変わっていったのか。

 

それから、もう一つ、大切なことをいって最後にしたいと思います。

 

ヨガを始めてから、自然と、両親に対する気持ち、接し方が変わりました。

インドでは、「親と先生は神様と同等」という考え方があるからかもしれません。

だから、ヨガを始めたら、本当に自然と、親に対するリスペクトや感謝の気持ちが湧いてきて、

大切にしたい、たくさん喜ばせたい、

行きたいところには全部連れていってあげたい、

食べたいものは全部食べさせてあげたい、

したいことは全部させてあげたいと思うようになりました。

両親と、主人と、一緒にいる時間が、何より楽しくて、温かくて、愛おしくて、大好きです。

先週、両親とチェリンと4人で、福岡の筑後市にお花見に行った時の写真

 

まとめ

 

改めて、瞑想、ヨガをはじめたきっかけと、ビフォーアフターについて短くまとめますと・・・

 

瞑想をはじめたきっかけ

・自分の性格と人生を変えたかったから

・自分の性格、物事の捉え方、気持ちの持ち方が、苦しみを生み出していたから

 

ヨガをはじめたきっかけ

・人生、迷い続けて、暗闇の中にいたから

・自分のうちに籠っていたい時に最適だったから

 

瞑想、ヨガで変わったこと

・性格が明るくなった

・自己肯定感があがり、自己否定もしなくなった

・人とのコミュニケーションがスムーズになった

・自分を尊重する気持ちが芽生えた

・周りの人から尊重されるようになった

・行動力がついて世界中を放浪したり、飛び込みで仕事を自分で取ってこれるようになった

・子供の頃からの夢(途上国でのチャリティ)も叶った

・両親へのリスペクトと感謝の気持ちを持つようになった

・最愛のパートナーと出会えて、大切にしてもらい、仲良し(自分を大切にし尊重するようになったため、大切にしてくれる人に出会えた)

・愛する家族と、充実した仕事と、いい生徒さんたちに恵まれて幸せ

 

あなたは、どんな思いから瞑想やヨガを始めてみたいと思いましたか?

長文、おつきあいいただいて、ありがとうございました。

あなたにとっても、瞑想、ヨガが救いになりますように・・・。

 

 

 

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