登山靴はいらない
上高地キャンプ二日目。
小梨平から朝8:30頃出発し、横尾キャンプ場に11:00頃到着しました。
下に徳沢というキャンプ場もありましたが、横尾キャンプ場の方が眺めもよく、こちらを選んで正解!
テントを張り、お昼ご飯を作って、食べたらもう12:30。
チェリンが上の涸沢まで登りたいというので、行くなら急いでいかなくては。
涸沢までは、横尾から登り3時間、下り2時間が標準時間だそうなので、今から行くと、5:30になり、この時期はもう暗くなってしまいます。
涸沢岳は標高3057m。
私達が、インドやネパールで普段歩いている山は3000から4000mで、サンダルに短パン、雨具なし、地図なし、ヘッドライトなし。
横沢から涸沢岳への登山道の入り口には、雨具、地図、ヘッドライトのない方はこの先へ行くのは避けてくださいという看板がありました。
私達は、レインコートもヘッドライトも持ってきてはいましたが、テントに残し、服装もジーンズに普通のTシャツ、パーカー。靴は登山靴ではなく、スニーカーです。
河童橋の辺りは、普段着の人が多かったですが、この辺りは、全く装いが違い、登山靴は全員、中にはヘルメットやスティックを持っている人も。
頭の高さを超えるほどのザックを重そうに抱えながら、ゴロゴロした岩場をゼーハー言いながら登っていく姿を見て、違和感を覚えていたところ、チェリンも同じことを言いました。
あんな格好しなくても山は登れるよ。
あんな大げさな格好しなくても山は登れる
日本の登山の重装備に違和感を覚えたのは、ヒマラヤを数回訪れた後、チェリンと福岡の山を何度か歩いていた時のこと。
私達は、その時も普段着にサンダルという格好でしたが、すれ違う人たちが皆さん、登山靴にザック、スティックという本格的な山登りだったのです。こんな低い山で公園みたいなところを、なぜ?
その光景を見たときに、以前、登山グッズ専門店で中年男性の店員と話をしたときのことを思い出しました。山ガールの格好がしゃくに触るらしく、あんな格好で山に登ってケシカランといった感じの話でした。
私も日本アルプスの山小屋で数ヶ月、働いた経験などありますが、以前は、山というものをすごく重々しく捉えていました。厳しくて、過酷で、安易な気持ちでは危険を伴う、決してなめてはいけない世界…なんて。
チェリンと山を歩くことで、山歩きって、もっと気軽なものだと教えてくれました。
ヒマラヤのチェリンの実家の様子…
・近所の市場に行くのでも、近道をするために崖を登り降り。雨の日はかなり大変
・雨季にはヒルにたくさん足を噛まれて流血
・夜暗くなっても、チェリンや地元の人はライトなしで山道を歩く
チェリンと一緒にいると、山を歩くことが、日常の一つとなんら変わらないし、普段の生活の一部。
日本人は特に、どんな分野においても、どんな場面にも対応できるように用意周到にきちんとしておかなければ気がすまないところがあります。一つのミスも非常事態になることを恐れ、最悪の事態を全て想定して、全ての必要なものを持っていく感じでしょうか。登山を始める時に、お店で、これがいりますよ、あれがいりますよ、と言われるがままに買い、何も疑うことなく、それが後世に引き継がれていったのでしょうか。
チェリンは、「日本人は自分自身で考えることをしないのかな。例えば専門家の人が言えば、自分で検証することなく、そのまま鵜呑みにしてしまい、洗脳されてしまっていたり」
では、横沢から涸沢まで、装備がなければ本当に登れないのか、実際に私達が証明しようじゃないかと登っていきました。
実際、登ってみると、道は綺麗に整備されていて歩きやすいし、迷うような場所もないし、ヒマラヤのこれまで行った場所より、ずっと簡単な散歩レベルの道!
重い登山靴も履いてないし、肩にのしかかる何十キロもの荷物もないので、スイスイ、ピョンピョン登っていくことができます。先に歩く人たちを、ひょいひょいっと追いぬいて行くと、手ぶらの私たちを見て、気に留めない人もいれば、「え?」という顔をする人、「手ぶら〜!?」という人もいました。
みんな、こんな重いものを持ってよく登るよなあ! なんて手ぶらは身軽なんだと何度思ったことか。
日本に手ぶら登山を広めよう!
ミニマリスト登山家を増やしていこう!
みんなも、もっと身軽になろう!
そんなことを二人で言いながら楽しく進んでいました。
足取り軽く、順調な道のり。
「ちょっと待ってください。私達はレスキュー隊です。そんな格好でここまで来るなんて信じられない。しかもこんな時間に。今すぐここから下に降りてください」
その時、時計の針は2時半を指していました。私達の足で進めば、5時までには横尾まで戻れるはず。そんな計算でいました。ここまで来て降りろだなんて。
「はーい、すみません。後ちょっと行ったら降ります」と言うチェリンに、レスキュー隊は、譲歩せず。
「いや、30分じゃなくて、今!すぐ!降りてください。そんな格好で来て?ほんとに信じられない」
私はとっさの出来事に思わずチェリンを指さし「彼はヒマラヤ出身なんです」
「郷にいれば郷に従えという言葉があるでしょう」とレスキュー隊。
この言葉は、ものすごく傲慢じゃないかな。では、ベジタリアンのインド人が日本に来たら、日本は肉を食べる文化だから、郷に入れば郷に従えで、肉を食べろと言うの?
どうして、こんな格好で登っているのか。私たちの意見も聞いてよね。頭ごなしに自分たちにとっての「常識」を押し付けるんじゃなくてさ。
そんな難しい日本語をチェリンが理解しているはずもなく「はーい、すみません、後30分行ったら降ります」と。
チェリンが後で、「彼らは何と言っていたの?」
「私達の格好でどうやってここまで来たのか全く信じられないと言ってたよ。でも私はそれに対して何も答えなかったけどね」
「英訳してくれたら、僕は何か答えたのに! 僕達はどこに行ってもこの格好で山へ行くんだ。カンチェンジュンガ(5000mの山)でも、僕は雪山をキャンバスシューズで登った。雨具も持たずにね。ポーターも長靴だったよ。そうして何日かかけて山を登ったこともある」
「チェリンはすみませんと言っていたけど、何も反論するつもりはなかったの?」と聞くと、
「彼らは仕事でそう言うしかないんだから、こちらは、はい、すみませんと言って、最後は自分がやりたいことをただ貫けばいいんだよ」と。
合理的な考えかもしれません。実際チェリンの望んでいたことは確かにやり遂げられたのですから。
それにしても、日本は山の中にまでルールがあるんだね。
窮屈そうに言うチェリン。
ヒマラヤと日本は確かに環境の違いはあるでしょう。しかし、それを差し引いて考えても、日本人は不必要なものを抱えすぎているように思えます。
本当にこれは必要なものなのか?必要だと思い込まされているだけではないのか?
私が初めてのヒマラヤ、世界第3位の山、カンチェンジュンガが目の前にあるチェリンの実家に行った時のこと。そんな高山に行くのですから、私は相当な準備がいると思い、登山靴を日本から用意していきました。
しかし、その靴をヒマラヤで履くことは一度もありませんでした。だって、ヒマラヤでは、わざわざ重くて暑苦しい登山靴を履く必要性が一ミリもなかったのです。
インド、ネパールのヒマラヤの人々は、4000mくらいまでの山なら、裸足やサンダルで、走り回っています。
私も、チェリンと一緒に近所を歩いたり、チャリティー活動のためにインドやネパールのヒマラヤ地帯を歩くときは、全てサンダルで問題ありませんでした。
どんなに酷い悪路で、崖みたいな所を登ったり降りたりしたときもです。
こんな経験をした後に思うのは、逆に、サンダルの方が滑りにくい上に軽いため、よっぽど登山靴より優秀ではないかとすら思うのです。
今回の上高地の出来事のあと、チェリンはこう話していました。
「登山には、スタミナがいる。
1グラムでも重い靴を履いていれば、それだけスタミナは奪われる。
6000m以上の山を登るなら、その時は、凍傷を避けるための靴や手袋がいるだろうけど、
そこまでじゃないのに、重装備は必要ない。
重い靴を履くことで、余計に体力を消耗し、さらに色んなものが必要になる。
軽装であれば本来必要でなかったものが、重装備になることで必要になってくる。
そうやってループにはまっていくんだ。それは罠だよ」
そこで私が、「そうね、本当は、必要ないのに必要だと思わせられている、ある種の洗脳みたいなものね、メーカーの。登山するには、これがいるよ、あれがいるよ、と言って不必要なものまで買わされているのかも。それか、代々こうしてきたのだから、そうしなきゃと、何も疑問を持たず、続けているのかもね。でも日本の山と、ヒマラヤの山は違うと言われたら何と答える?」
「僕はいつもこの格好で山を登っています。僕にはこれが快適なんです。
あなたは、あなたの快適な格好をしてください。僕は、僕にとっての快適な格好をします…と答えるかな」
そうですよね!
山を歩くのは、日本では今のところ、私達のような軽装、もしくは手ぶらで高山に行く人は少ないですが、もしかしたら、私達が、軽装スニーカーでもいいし、小さなバッグに水や最低限の物だけ行く登山をもっとこの世に広めたとしたら、将来は、こちらの方がむしろ主流になっていくかもしれません。
登山用の服を着て、登山靴を履き、ザックに色んなものを詰めて、重いものを抱えながら行くスタイルは、頭のカタイ、古い昔のスタイルと言われるようになる日が来るかもしれません。
そして、それも何か、”ミニマリスト”と同じようにネーミングが生まれ、やがて、ブームになり、ファッションになるのかもしれません。そんな未来が来るかもね、なんて半ば冗談のように言いながら歩いていました。
今、長野県にいるのですが、ある役所から、アウトドアや登山の専門家としての仕事のオファーがありました。
もしすることになったら、チェリンは、まず登山靴をやめてスニーカー変えることから教えると言っています(笑)
まあそれは冗談ですが(笑)
問題は、「本当に必要なのかどうか」を自分で考えて、判断することができるかということ。
みんながそうしているからとか、そういうものだからとか、権威ある人からそうしないといけないと言われたから、ではなくて。自分で経験して、判断して、「必要」と思えば使えばいいし、経験してみて、いらないと思えば、使わなければいいのです。
最後に、あなたが「山を登るのには登山靴が絶対必要」と思うなら、次の質問を投げかけて、このチャプターを閉じたいと思います。
「それが本当なら、ヒマラヤでは、なぜ誰も登山靴を履いていないのですか?」と。