今、住んでいるインド・シッキム州にある農家から、日曜の市場での野菜売りにお邪魔した時のこと。


この家のおじさん、おばさんが、ラバングラの市場まで、何十キロもの野菜を運ぶのは朝の3時半。
15歳のお孫さんとチェリンが、30キロずつの荷物運びを手伝います。
この市場は日曜だけだそうで、村の人たちが家で作った野菜を売りに来ます。市場内は全部オーガニックだそう。
シッキム州は、農薬を使うのを禁止しているとかで、シッキム内で買う野菜は、オーガニックなので安心ですね。でもたまに他州から来たオーガニックじゃないものも売ってるとこがあるみたいです。このラバングラの市場内は全オーガニックと思っていいそうです。
この地域の人達は日本人と似ているので、私がおばさんと一緒に座って野菜を売っていても、誰も私が外国人とは気づきません。でも、お客さんが野菜を買おうかどうか悩んでいると、「美味しいですよ!」と言ってみると、やはりアクセントが違うので私が外国人と気づいたようです。


お客さんが、おばさんに私のことを「彼女はお友達?」と聞くと、おばさんは説明していましたが、最後に、ほとんど消え入るような声で「彼女は日本人です」と付け加えていました。
こちらでは、日本人と分かると、みんな好奇心いっぱいのキラキラした目変わります。 おばさんは、ほらーすごいでしょ! 日本人が家に泊まってるのよと自慢にならないように、聞かれた時にだけ、小さな声で答えるのでした。ヒマラヤでは、自慢したり、アピールして大きな態度をしたりするのは、よくないという文化があるからです。他のインドの地域とはここが大きく異なります。

一緒に野菜を売りながら、疑問に思ったのは、いつも家では元気なおばさんが、野菜を売るときは、なぜか伏し目がちで、ささやくように値段を言います。
お客さんの方が、え?おいくら?と、おばさんに近づいて、聞き返すくらい。
家に帰ってから、「ああするのはどうして? 」と聞いてみると、
大きな声で言うとお客さんが逃げてしまうからだそう。
これが、おばさんの “ビジネスポリシー”とのことで、まさか、おばさんから、そんな言葉が出るとは想像せず、笑ってしまいました。
追いかけると、逃げられる。
逃げると、追いかけられる。
セールスと恋愛は同じ心理学が働くようです。
おばさんが売っている野菜は、決して、他の大勢の人たちが売っていた野菜より特別だった訳ではありません。
ただ、おばさんは、”売ることにまるで興味がないような態度”をしていただけ。
いつもより、やる気がなさそうな態度に、最初は、どうしたんだろう?と心配しましたが、あとで理解しました。
買って!買って!逃げないで!と、なんとか捕まえようという態度で接客すれば、お客さんは怖がって逃げてしまいます。
これは、日本での経験ですが、定員4人に、赤字セールだから助けてくれ!買って買って!と店の端に追い込まれ、最初は買ってもいいかな?と思っていたのに、一目散に逃げ出したことがあります。
ほったらかしで、聞かれた時だけ、控えめに答える、くらいの接客であれば、お客さんは、安心し、落ち着いてゆっくり考えることができます。
お客さんに追いかけさせるのですね。
恋愛も同じで、女性に追いかけられたり、簡単にカップルになるより、男性が女性を追いかけて「やっと手に入れた!」と男性が思うようにすると、結婚した後も大切にしてもらえるのと同じですね。
おばさんは、長年のビジネスの経験で、この心理学を体感として、よく知っていました。
あんなに控えめなのに、いや、控えめだからこそ、大勢の他のお店より、すぐに全てを売り切り、午前中に店を閉めることができたのでした。
(セールスと恋愛の共通する心理学の話は、一旦ここで終了。この先は、雑記・旅行記になりますので、興味のある方は引き続きどうぞ・・・)
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さて、ラバングラは標高が高いので外でじっと座って野菜を売っていると、すごく寒いです。
温かいおばさんの手で、私の手を温めてくれました。
家に帰ると、私の手を取り、まだ手は冷たいかい? と言って、両手で温めてくれました。
早朝から出たので朝から何も食べず、お腹が空いていた午後3時過ぎ。
この地域やネパールなどでは、お昼ごはんを食べたり食べなかったり、軽いスナックやお茶だけで済ますことが多いそうなので、お腹が空いているけど、今日は夜まで待たないといけないかなと思っていました。
おばさんが、ご飯を作っていたので、外で働いている人たち用かな?と思っていると、なんと私と主人二人にと出てきました。
チュルピーという地元の美味しいチーズがあるのですが、それを使った料理。
おばさんが、「今日は一生懸命、野菜を売るのを手伝ってくれたから、ご馳走です」と言って微笑みました。
その晩も翌朝も、チュルピーの料理でした。
この写真の右側がチュルピー。ジーラ(クミン)と一緒に調理したもの。左はプーリ。チャパティを揚げたもの。お店で食べるプーリはもっと膨らんでいます。
実は、私達はこの日、シッキムを出て、別の街に旅行に行くことになっていたので、最後の日ということで、ご馳走を作ってくれたのだと思います。
この家を出てから、旅の途中、チェリンが言いました。
おばさん、「一緒に野菜を売って楽しかった」って。
私は「何もできなくて、ただ隣に座ってただけだよ」と言うと、
おばさん、「君の手がすごく冷たくなっても、その後もずっと自分の野菜売りを手伝ってくれた」って言ってたよ。
昨日、家に帰ってから、おばさんが、私の手を温めてくれたことを思い出し、おばさんの気遣いに泣きそうになりました。
じゃがいもの収穫も、私が手伝うというより、おばさん一人でした方が速いくらいで、お手伝いの真似事をしたい小さな子供のために、おばさんが付き合ってくれたようなものでした。
毎回、シッキムに来るたびに、よくお世話になるこの家。おばさんが以前、私達の8年くらい使っている古びた水筒を、寒い市場で温かいお湯を飲むのに使いたいからくれないかと言ってきたことがあります。
しかし、この水筒は、夫婦二人にとって思い入れの深いものだったので、今度、新しいのを買ってプレゼントしようと決め、今回持ってきていました。
おばさんにクリーム色の新品のサーモスの水筒をプレゼントすると、おばさんは「可愛い色ね。あなたのように可愛いわ」と愛情を込めて言いました。
他の家族のメンバーも「美味しそうな色ね」「孫が見たら、私が欲しいって持ってっちゃうかも」と口々に言います。
私はとっさに「駄目よ!これはアンマに買ってきたんだから。アンマが市場で使うためのものなのよ」と言いました。(アンマはお母さんの意味)
でもそれから3回は市場に行ったようなのに、まだ使ってないようなのです。それに家で使っているのもまだ見たことがありません。
チェリンが「こっちの人たちは、大事しすぎて、もったいないと思うから、まだ使えないでいるのかもしれない」と言いました。
「えーそんな! 使わないと意味がないのに」
最初に欲しいと言っていた私達の古びた水筒なら、すぐに使ってくれたのかもしれません。
以前、チャリティで日本の皆さんから古着を送ってもらったときのことを思い出しました。
この時も、せっかく日本の古着を配ったのに、みんなボロボロの服を着たままなので、どうして?とチェリンに聞くと、「遠い外国の日本から送ってもらった貴重な服だから、もったいなくて着れないんだよ。だから特別な時にだけ、着ようと思ってるんだよ」と言っていました。
私は当初、毎日のボロボロ服を捨てる代わりに、着てもらえるかなと思っていたのですが、
村の大人も子供も、普段は農作業や薪割り、薪運び、火の番、家畜の世話などで、服がすぐに汚れてしまいます。だから日本からのプレゼントである古着も使いたくなかったのですね。