シッキム孤児院でのチャリティー 折り鶴と共に|ジョンさんの奇跡の話

シッキム、キュージン村で以前も訪ねた孤児院を今回もチャリティー先に決めました。
ここに決めたのは、
シッキムを旅行中、ある日、
孤児を一番支援したい!
という気持ちが溢れてきたのです。

いろんな家を訪ねて出会う、お母さんと小さな赤ちゃん。
赤ちゃんがちょっと泣いただけでも、急いでお母さんが駆けつけ、抱き上げてなだめる姿をたくさん見かけました。
今までも見ていた同じような光景なのに、今回感じたのは、違う感覚でした。

普通なら、ちょっと泣けば、お母さんは駆けつけて抱き上げてくれる。
でもお母さんやお父さんがいなかった子供は、どんなに寂しかっただろうと。
大声で泣いても泣いても、誰も来てくれない、その寂しさ、悲しさが自分のことのように感じて、ある日涙が溢れてきました。

以前、何度かチャリティー先として訪ねたことのある、ジョンさんの学校、アバンダントスクールは全て寄付で賄われ、
生徒からの受講料も、先生の給料もないところです。
ジョンさんの心意気が素晴らしくて、彼の人生も奇跡で成り立っているような、驚くべき話ばかりなんです。

今回、生徒さんからの寄付と、
ある生徒さんからいただいた折り紙の鶴と、
たくさんのキャンディー、
以前あるドナーの方からいただいていた絵の具セットを携えて、行ってきました。

鶴に大喜びの子どもたち!
こんなに大喜びしてくれるとは!
鶴を持って、ブーン! と言いながら走り回ったり、
小さい鶴を大きな鶴の上に合体させて楽しんだり、
私のが一番! 僕のが一番!
と大はしゃぎです。

生徒さんからの愛情が伝わったようで、それが一番嬉しかったです。


そして、ジョンさんの話。
今回もミラクル満載の話でした。
幼少の時、家族の中で一人クリスチャンになり、厳格なヒンドゥー教の最高位のカースト、ブラーミンの家庭としては目の上のタンコブ、恥ですらあったジョンさんを殺そうとした両親から逃れた話。
どうやって今の奥さんと、生まれ故郷の南インドから遠く離れた北の果てのシッキムで結婚したのかは以前ブログにも書きました。

今回の話は、両親に見捨てられた後、どうやって教育を受けて、無事に成長し、その後両親と再会したかの話でした。
今、時間があまりないので、詳しくは日本に帰国してから書きたいと思いますが、触りだけ。。。

両親が自分を殺そうと企んでいたことを知ったジョンさんは、
行くあてもなく、駅で一人、泣きじゃくりました。
ジョンさんが11歳の時です。
大勢の人たちが現れては電車に乗り、来ては去っていく中で、二時間ほど泣きながら座っていると、
誰か一人の男性が、ずっと立ち止まってジョンさんを見ています。
しばらくして男性は、ジョンさんの前に立ち、肩を触りました。
ジョンさんは怖くて、逃げたい衝動に駆られました。
名前は何?
聞かれても返事はしませんでした。
君の名前は、イスラエルかい?
ジョンさんの名前は、ジョン イスラエル。
何で分かったの? と驚いていると、
男性は、
何も心配しなくていい。さあ、今から私の家においで。
そう言って、家に連れて行き、ご飯をたくさん食べさせてくれ、次の日に、事情を説明してくれたそうです。
続きは、帰国後書きますね。
しばらくお待ちくださいね。

 

===

ジョンさんの奇跡の話

おととい帰国しました(^ ^)

先日の記事でお伝えしていた、シッキム孤児院でのチャリティーの話の続きです。
(当センターのヨガ受講生の方からいただいた寄付金を持って、シッキムでチャリティーをしているのですが、こちらの学校はその寄付先の一つです。)

孤児院の校長先生、南インド、タミルナドゥ出身のジョンさんの人生は奇跡の連続でした。
前回のお話は、まずこちらをお読みください

・・・・
家を出た11歳のジョンさん。
自分の名前を知っているはずがない、見知らぬ男性に駅で声をかけられ、名前を言い当てられます。
その男性の家でご飯を食べさせてもらったり、いろんなお世話をしてもらった次の日のこと。

男性は、なぜジョンさんの名前がわかったのか。どうして、声をかけて、家に連れてきたのかを説明しました。

「昨日の夜、プレイヤールーム(お祈りをする部屋 インド人の家にほとんど必ずといっていいほどある)で、お祈りをしていたとき、声を聞いたんだよ。

『明日、駅に行きなさい。そこに、Iで始まる名前の男の子がいるから、声をかけて、世話をしなさい』

と。

Iと聞いた時、イスラエルかな、と直感で思った。そして、君に会ったんだよ」

その男性は、祈りの時に聞いた、そのメッセージで、見ず知らずの男の子を家に連れてきて、世話をすると決めたのでした。

ジョンさんは、私に語り続けました。
「その男性は、それから1年ほど、私を家で世話してくれました。
工場で働くために会社に紹介状も書いてくれた。
そして、1年後。私のために、新しい家を借りてくれたんです。
その家には、部屋がいくつかありました。

そして、僕と同じような境遇の子供たちを助けたいと思い立ちました。
駅や、バス停に行って、ひとりぼっちでいるストリートチルドレンに声をかけて、
『名前はなんていうの?何かご飯は食べたかい?安心して。僕の家においで。ご飯をたべさせてあげるから』
女の子には声をかけませんでした。男の子だけです。
そして、年々増えて行って、最終的には33人にもなりました。

私は自分の給料で、33人を賄いました。
その中から、今は弁護士になった子もいます。」

私は、ジョンさんが、駅やバス停にいって、見ず知らずの子供に声をかけて、家に連れてきて育てた話を聴きながら、泣いていました。

自分が幸せになったら、もうそれでいい・・・ではなかった。
まだ幼いうちから、自分もしてもらった恵みを、自分と同じような境遇の子供にもしよう、といち早く行動したんですね。

しかも、ストリートチルドレンから、弁護士になった子もいたとは。
ジョンさんは、10代でありながら、子供たちの親代わりになり、食費だけでなく、学費も全て出してあげたんですね。なんと、寛容でハートの大きい人なんでしょう。

ジョンさんは、今40歳くらいで、シッキムの孤児院を運営されていますが、もうその前身は、すでに10代のころから始まっていたんですね!

今回初めて聞く話に、驚きっぱなしでした。

ジョンさんの奇跡の話はまだまだありそうでしたが、その後、「ランチの準備ができました。どうぞ別の部屋に移動してください」と声をかけられ、話は中断されました。

ランチの後、前回の寄付でどれくらい学校の建設が進んだのか新しい校舎を見に行きました。

以前は、小さな家の中の3つの部屋に、ジョンさんご夫婦と子供、生徒たち20人くらいが、クラスルームと寝室を兼用して使っていました。

新しく作っている校舎は、まだドアがありません。窓もついていません。
夜中に、ドアから泥棒が来て、部屋の中のものを盗まれることがあったそうです。
インドでは、本当に小さなものでも盗まれます。

それで、ドアと窓を、今回のチャリティーで賄いたいと思いました。

その後、手配しにいくと、窓はできることになりました。
窓は、今ある木材を使って、地元の職人さんに頼んで、窓を作り設置するための費用を渡しました。

しかし、ドアの方が話が進みませんでした。

どうやら、今、シリグリで起きているストライキのため、シッキムへのドアの供給がストップしているそうなんです。
今回、シッキムから最寄りの空港があるシリグリに辿り着くのも、ギリギリセーフと言った感じでした。

私たちが空港に来るためにシリグリにきた翌日にシッキムからの全てのバスがストップしていました。

そういうわけで、残念ですが、ドアの設置はできず・・・

ですので、まだチャリティーのお金はもう少し残っています。

使うよい機会があるのを待ちたいと思います。

チャリティーにご協力いただいた、生徒の皆さん、本当にありがとうございました。

帰国したばかりなので、とりいそぎ状況を書きましたが、落ち着いたら、もっと写真や、ビデオをアップしたいと思っています。しばらくお待ちくださいね(^ ^)

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